- はじめに
- (自分にとって)嫌な話も一つの情報として
- その人にとっての正義
- ブランドの信頼性
- どちらも間違いではないこともありえる
- 有名な話題や流行りモノには逆張りが一定数ポップする
- 自分の不利益となる情報を提供する人はあまりいない
- ネット情報の限界も念頭に
- あとがき
はじめに
ネットに溢れる様々な情報から、信頼できる正しい情報を見極めることは有事においてもとても大切なことだと思います。
いわば、情報取得の精度、確度をあげるというイメージです。
フェイクニュースなどAIの発展もあり、今まで以上に「見極め」が難しく、何が真実なのか?どの情報が正しいのか?を自分で判断しなくてはならない時代です。
(自分にとって)嫌な話も一つの情報として
自分の耳に心地いい話の方が楽しいですが、客観的かつ冷静に、嫌な話であれ一つの情報として、冷静に分析する必要があります。
その人にとっての正義
その人にとっては「正しい」ことであり、嘘とはまた違う意味での複雑さもあります。
過去の歴史や戦争、宗教の問題はとても複雑です。
双方にとってそれぞれが大義とするものがあり、当事者ではない者が端的にその是非を決めつけることは非常に危ういものです。
正確な情報という意味で言えば、発信者は自分の中でそう信じているのであって、何かを明示的に証明出来るわけではありません。
「これだけ真剣な目をして話をしているのだから間違ないだろう」という信用、判断は危ういものです。
ブランドの信頼性
Yahooのトップページに出てきた。
googleで検索したら一番上に表示された。
有名で皆が見ているサイトの上位だから信用出来る情報とは限りません。
費用を払えば見やすい所(目にとまりやすい所)に宣伝を打つこともできます。
有名、無名、その規模の大小で信用を決めるのは危ういものです。
どちらも間違いではないこともありえる
例えば三越伊勢丹とドン・キホーテのビジネスモデルとして、ターゲット層はまるで違いますが、どちらにも需要があってどちらが「正しい」「正しくない」を論ずること自体が不毛な場合もあります。
有名な話題や流行りモノには逆張りが一定数ポップする
話題のニュースに便乗するとアクセス数を稼げます。
アクセス数さえ稼げれば収入が得られるという所で、そこに便乗する輩がポップし、真逆の情報を流してきたりもします。
どちらが自分にとって好ましいかではなく、どちらの意見が理にかなっているか、正しいかを見極めなければ、間違った方向に進んでしまうリスクがあります。
自分の不利益となる情報を提供する人はあまりいない
人は自分のキレイな所、キレイな話だけ見せたがるものです。
例えば企業のホームページですと、とてもデザインもキレイで立派なことが書かれている。これだけのホームページでこれだけの内容だから信用出来るか、そうとは言い切れないということです。
デザインなんて外注にお金を払えばどうにでもなります。
言葉なんてそれらしく書いておくことくらい誰でもできます。
本当の話は大抵もっと泥臭いものです。
ネット情報の限界も念頭に
例えばコロナワクチンはいまだにネット上で論争があります。
ワクチンを打つことが正しかったのか?
打たないことが正しかったのか?
タダの風邪なのか?そうではないのか?
識者の意見も分かれています。
その人のおかれている立場や思いその人の知識や知見によってその是非は分かれます。
第三次世界大戦は本当に起きるのか?
次はどこで大規模な地震や災害が発生するのか?
仮定に基づく話もネットには多くあります。
「もし」こうなれば、あるいはこうであれば。
そも「もし」は無数にありえます。
それらしく聞こえることもあります。
ネットの情報に流されないことも大切です。
あとがき
大切な判断をネットや他人に委ねた場合、そこで期待する結果や成果が得られなければ後悔する時が来るかもしれません。
あくまでも最終的に決断するのは自分自身です。
また、仮にその内容が正しく素晴らしくても、自身にとって有効活用できなくてはそれもまた意味がありません。
情報の見極めだけでなく、自身の置かれている状況や立場を総合的に考えて取捨選択することが有事にも生きると思います。