令和戦国時代の生存戦略日記

明日どうなるかも分からない時代

生存戦略 自由を手に入れる評価依存からの脱却

私たちは子供の頃から「成績」「通知表」という形で「あなたの価値はこんなもんです」と植え付けられて生きてきました。

まあ大概大きなお世話だなっていう…

アナタのブログは0点です。

アナタのブログは100点です。

私からすればどちらも同じです。

世の中色々な人がいるんだから、色々な考え方、意見があって当然だなという意味で、0点も100点も、いわば肯定も否定も、本質的には同じものという感覚です。

0点と言われて腹が立つこともなければ、100点と言われて浮足立つこともありません。

小事例1 (私は泳げません!➡カナヅチです)

従って水泳の授業のシーズンになると、体育の成績は5段階中2になります。

今はどうか知りませんが、昔は授業に出れば1になることはなかったので(授業から逃げなかったのを評価されたのだろうか?)

しかし私からすると泳げないのは言われるまでもなく自覚しているので、成績という形でわざわざ子供の心に「出来ない子」という深いキズを負わせてトドメを刺す必要ないやろ…と思っていました。

小事例2 (私は学生時代バレー部➡問答無用で成績は4)

授業中の試験でサーブ一回打ってレシーブ一回しただけで体育の成績4(70点)

もうアホかと。

あ~ハイハイ、カタチ出来るのは分かったよ。でも身長足りないからアタック打てないしレギュラーにはなれんよね?セッターのポジション1枠しかないしそれほどでも?

の結果が4。

勝手に決めつけんなよこのフンコロガシが…って話で。

近年のSNS依存とエスカレート問題

フォロワー数登録者数いいねの数PV数、それが自身に向けられた対外的な評価で自分の地位。

いやぁ…そんなんどうでもいいやろと。

別にフォロワー0でも自分が楽しめてるなら幸せだと。

愉快なオモシロ人間たち

学生時代、バスケの授業中、ティールされてキレて背負い投げで一本!退場になった男がいます(もう30年来の友人ですが)

バスケの授業中、背負い投げして退場になった男を私は人生初めて見ました。

これはもう全力で仲良くなるしかないなと。

いやいやそういう競技だから…ってニヤニヤしながら見てたんですが、点数や評価ではなく人生楽しんでる感がいいなと。

 

また、サッカーの授業でキーパーなのにゴール放置でシュート打ちに行くツワモノもいました。

いやいやゴールガラ空きやろ…ってニヤニヤしながら見てましたが、もう香ばしい生き物すぎて全力で仲良くなりたいなと。

ルールはもちろん大切ですが、成績がどうよりオレ様タイプってどうあれ人生楽しめてるだろうなと。

7点の男の話

とある試験で100点満点中7点

またまた私ニヤっときまして、コイツは才能アリだなと。

偶数点数の問題しかないのに無駄に奇数点を取る男。

答案用紙に空白がないのに7点しかとれない男。

前半4択問題で25%の確率でいくつか嫌でも当たっちまうレベルなのに、その全てをさわやかにスルーして7点というもはや嫌がらせのような男。

分からなくても空白は気に入らないのでどうあれ答案用紙は全部埋めるという負けず嫌いっぷり

才能しか感じなかったですね。

確かにその分野は苦手かもしれないですが、得意分野に行けばめちゃくちゃ伸びるタイプじゃなかろうかと。

ちなみにその彼は今も友人で中間管理職として仕事頑張ってます。

自由とは心の解放感だと思う今日この頃

何をしても点数がつき、それがあなたの価値だと値踏みされる人間社会。

貧しいことこの上ないと私は思います。

大体評価してるのはどこのダレ様なんだ?って話じゃないですか。

教科書が絶対正義になる理由は

それしか出来ない人達権力を握っていて

コレが正解です!コレを理解出来るヒトが優秀なヒトなんです!!!

の無理やりゴリ押しだからとしかいいようがないですね。

その結果例えば英語の教科書どうですか?

カタカナ英語でどうなりましたか?話せるようになりましたか?って話で。

 

異形の才は常に社会から弾かれ殺される。

カネを稼げる人=優秀 カネを稼げない人=ダメ人間

こんなレッテルを貼られて下を向かされる。

もうイカれてんじゃないかと…

昔数学で式は間違ってるけど答えは当たっているという時が私はよくありました。

まともに授業を聞いていないので(それもどうかとは思いますが)公式やら教科書の正解を知らないわけです。

しかし自分なりに必死に答えに辿り着いた結果、✖(不正解)扱い。

もう死んでくれと。

教科書にない式=分かってない➡適当に答え書いたらたまたまあたっただけでそれは正解とはいえないという扱い

アホ抜かせと。

むしろ200点だろと。

自力で即席で式を開発したというのにとんでもない不当な評価だと私は思うわけです。

才能の形は無限にある

人間社会の枠組みが生きづらい方って儲からない才能があるタイプだと思います。

森羅万象、自然や他の生き物たち、あるいは地球、宇宙を眺めるような方。

非常に豊かな才能を持っているにも関わらず、理解、評価されないが故にカネが稼げず生きづらい。

どちらかというとその方が私は地球の一個の生物としては正解なんでは?くらいに思います。

結論としては

人に何かを求めるとつらくなります。

自分大好き、自己満足になれると、とっても自由で心が満たされていきます。

解放感しかありません。

その辺の鳥や蝶と同じですよ。

誰かに何かを決めつけられ「これはこうなんだ!」と押し付けられるのではなく、「私はこうです♪」と生きると、儲からないですが自由は手に入ると思います。

というわけで

否定に対して過剰に反応する必要はないという話をさせていただきたいと思いました。

一度きりの人生じゃないですか。

ニヤニヤしながら楽しまないと損だと思います。

縛られて生きてると本当に窮屈で、その辺のトンボにすら敗北感を禁じ得ない。

非常にもったいないと思うので、全力で逆振り逆行を楽しめたらいいなと思います。

 

ではまた!